置いてけ堀

置いてけ堀

本所七不思議のひとつ。七不思議の代表格的存在で、七英雄でいうと頭目のワグナスといったところ。つよそう! 強キャラ! わが置いてけ堀へようこそ!

ワンス・アポン・ア・タイム・イン錦糸町。とある江戸っ子がお堀に釣り糸を垂らしておりました。暗い顔の江戸っ子は「釣りをする夫の姿を見たことのない妻は、自分がどれほど辛抱強い男と結婚したか気がつかない……」などと妙に箴言めいたことをつぶやき、目にはうっすらと涙を浮かべているではありませんか。きっと家庭で辛いことがあったのだね。たまには釣りで気分転換もよいものさ。男なら誰でもそんな日があるというよ。負けるな江戸っ子。がんばれ江戸っ子。

さて、そんな江戸っ子のテンションとはうらはらに、その日はやたら魚の食いつきがよく、なんと江戸っ子史上最大の漁獲高を記録。禍福は糾える縄の如し。先ほどまでの陰気はどこへやら、江戸っ子はフィーバー状態で浮かれ踊り、「おい鮒! どうせ俺に釣られて焼かれるんだ、はじめから塩味でいろ!」などと、鮎釣りスター小沢兄弟みたいな無茶を言い出す始末。ずいぶん気が晴れたようで、よかったね江戸っ子。

精神的かつ物量的に満たされた江戸っ子が魚を魚籠に詰め込んで帰り支度をしていると……ゲーッ、なまあたたかい風に乗ってどこからともなく薄気味悪い声が聞こえてくるではないか。

(……きこえますか…きこえますか…釣り人の…みなさん… 妖怪変化です… 今… あなたの…心に…直接… 呼びかけています…お堀で釣った魚は…持って帰っては…いけません…釣った魚は…置いていかなければいけない…システムなのです…置いてけ…釣った魚を…置いていけ…そしてそのまま…立ち去るのです…)

これには江戸っ子も仰天。驚きのあまり「に、兄さん、頭がいたいよ……」などといった意味不明の供述をしながら脱兎のごとく逃げ出しました。しばらく駆けて、ようやっと人心地がついたところで魚籠をみると、あれだけ釣ったはずの魚が一匹残らず消え失せていたので「あんなに釣ったのにぜんぶ取られちまった。これがほんとうのフィッシング詐欺」などとつぶやき、さしてうまくないちょろいサゲに大満足して洋々と長屋に帰っていったのでした。よかったよかった。今日もお江戸は天下泰平。

この江戸っ子などはまだ運の良いほうで、謎の声に従わず魚を持ち帰ろうとするとお堀から手が伸びてきて引きずりこまれたり、一つ目小僧や傘のお化けが現れてボコられたりすることもあったのだとか。犯行の手口からみて、おそらく狸によるものですな。