ロルウイ

ロルウイ

アボリジニの神話に登場する精霊。神と人間の中間に位置するとされますが、見た目は人間の若者とあまり変わらないようです。

アボリジニの神話によれば、大昔ヤムイモはジョン・ウィンダムのSF小説『トリフィド時代』に登場する歩行植物トリフィドみたいに自由気ままに歩き回っていたんだそうです。

だもんで、畑でヤムイモを栽培しようと思っても、連中は収穫前にどこかに蒸発してしまうので、農民各位は学級崩壊したクラスを受け持つ教師と同レベルの苦労を抱えていました。心労がたたり、心療内科で処方された薬を毎日飲んでいました。週一でカウンセリングも受けていました。恋人に受け持ちのヤムイモの悪口をこぼすこともあれば、一人で酒におぼれる夜だってあっただろうさ。彼らは農業の理想と現実とのギャップに戸惑い、多大なストレスを抱えていたのです。

そこに現れたのがロルウイさまだ。彼は根無し草のヤムイモどもに「お前らはイモなのだから土の中でじっとしていろ。この阿呆。どつくぞ」と厳しく注意したところ、イモどもも手前の身分をようやく自覚して恐縮し、以後は落ち着きなく歩きまわることもなくなったのだとか。

イモに向かって「お前は所詮イモだ」と身も蓋もない現実を突きつけ、彼らのありようを独断的に規定するロルウイ先生の指導方針は、いっけんイモの個性を殺す旧時代の管理主義と思われがちですが、アボリジニたちは彼のおかげでヤムイモを定期的・効率的に収穫出来るようになり、生活水準が向上したという事実もまたあるわけです。この故事をどう捉え未来へと活かすべきか。管理や抑圧を悪として個性や自由を重んじるわれわれの社会に未来はあるのか。事なかれ主義や教育理念の履き違えによって萎縮しきった教育現場を救うヒントが、ロルウイ先生のヤムイモ指導伝説にかくされているのかもしれませんね。いや、知らんけど。というか、かくされてなかったかも。また今日もてきとうなことを書いてしまった。へんな話につきあわせてしまって、なんだか申し訳なかったね。