縊鬼

縊鬼

麹町に屋敷を構える組頭の組内には芸達者な同心がいて、最近は細かすぎて伝わらないものまね芸で仲間内の好評を博しておりました。

ある春の日、組頭宅では同役の寄合があり、そして夕刻からは酒宴が予定されていました。

組頭は同心に「お前の『極端なほどさ行が言えない江戸っ子のものまね』は絶品なので、接待役として必ず参加するように」と申しつけていたにも関わらず、いつまでたっても姿を現さない。客も「今夜は細かすぎるものまね『大物堀釣りスターシリーズ』の新作が見られると楽しみにしていたのに、なんとしたことじゃ」と興ざめの様子。

そんなとき、座の冷えきった宴席に息せき切って飛び込んで来たものがありました。例の、細かすぎるものまねに定評のある同心です。

「すみませんが、ダブルブッキングをしてしまいました。今夜の営業はキャンセルさせてください」

てなことを言って暇を乞おうとするも、主客ともそれを許さず大ブーイング。

「お客さまがお前のものまねを楽しみに待っていたというのに、なんの芸もせずに帰るやつがあるか。ひとまずあれをやれ、あれ。あの、『歌舞伎で一番最初に殺されるテンションの高い名題下』」

「はあ、しかし今はそのような気分ではなく……」

なおも渋る同心に組頭は怒り心頭。ダブルブッキングの詳細を問いただすと

「じつはこのあと食違御門で首を吊る約束をしているので、これから急いで死にに行かないと……」

などと阿呆みたいなことを言う。

「えっ、何おまえ。ブルーホエールチャレンジとかモモチャレンジでもやってんの?」

「いや、そういうわけではないのですが……」

主客おおいにこれをあやしむも、これ以上問い質してもまるで要領を得ないので、ひとまず彼をなだめて酒を飲ませ足止めを図ることにしました。

「ひとまず酒でも飲んで、それからお前の芸を見せておくれ。『大物堀釣りスターシリーズ』の新作はないのか」

「はあ、『妖怪研究家スターシリーズ』の新作ならあります」

「よいではないか。ならばそれを見せてみよ」

「しからば『蘇我入鹿の墓をおとずれた時の多田克己』などひとつ」

と一つ芸を披露したが最後、ギャラリーは大盛り上がり、同心に芸をねだり続けました。そして彼のワンマンショーが二時間ほど続いたころには、首吊りへのこだわりも大分薄れたようでした。

するとその時、食違御門で首吊り自殺があったとの報が入ってきたので一同ふたたび驚きました。

「人に取り憑いて首を吊らせる『縊鬼』の仕業かもしれぬ。この男を殺すチャレンジに失敗し、代わりにほかの者の命を取ったのであろう。おぬし、ここへ来る前に一体何があったのだ?」

「ここに来る途中、食違門を通りかかると見知らぬ人が立っていて、初対面なのに『ここで首を吊って死ね』と言われました。しかし何故か逆らえず、『今日は組頭のお宅でものまねをする予定になっているので、直接断りの連絡を入れたのちチャレンジしましょう』と答えました。しかし今となっては、首吊りをするなど恐ろしいことです」と、そのようなことを言いながら、「写真を撮られる時の多田克己の仏頂面」の顔真似をするのであった。

座の一同は皆、「ダブルブッキングしたときに先約を重んじたことによって命を助かったのだ」「みんな先約はきちんと守ろうね」「そうだねー」「それから、『山口敏太郎について語る正統派オカルト愛好家』の物真似もよかったよね」「ねー」などと言い合いながら和気あいあいと家路に着いたとのことである。