松江しんじ湖温泉を旅する

松江しんじ湖温泉を旅する
そのとき私が乗っていた二等車には、大事そうに風呂敷包みを抱えた年齢不詳の一人の紳士を除いて乗客はなく、いま思い返してみると実に不思議なことではあるが、列車ボーイや車掌さえ一度も姿を表すことはなかった。
「これでございますか」
僕の好奇の視線に気づいた紳士は、抱き抱えていた風呂敷をほどき、中から現れた額のようなものを窓の所に立てかけた。
額の中には一尺足らずの大きさの娘の半身が浮き出ており、その娘は何とも言えぬ嬌羞を含みながら微笑んでいたのであった。
「アッ、この押絵はいったいなんです?」
「押絵ではありません。iPadです」
「押絵の少女がヌルヌル動いているではありませんか。なんともふしぎだ」
「押絵の少女ではありません。Vtuberです」
「押絵と旅する男……」
「押絵ではなくiPadを持ち歩いているだけです」
「押絵でしょ?」
「しつこいな、押絵じゃなくてiPadとVtuberだっつってんだろうが」
話の通じない乱歩マニアの私に呆れたらしく、男はそれきり黙り込んでしまった 。私も黙っていた 。汽車は相も変らず 、ゴトンゴトンと鈍い音を立てて 、闇の中を走り続けた……

などといった、僕が体験した蜃気楼のように不思議で気まずい話はさておき、話の主題はこのあと訪れた目的地についてです。先日、仕事の用があって島根県の松江に行ってきたのです。 松江駅にはお昼すぎに着いたのですが、仕事の約束は夕方。それまで時間を潰さなければなりませんでした。
まずは腹ごしらえということで、食べログで高評価の「根っこや」という郷土料理屋へ。ランチ限定の「あとのせ海鮮丼」というのを注文してみました。
いや、あのね。僕の撮影技術が未熟なせいでグルーポンおせちみたいなビジュアルに見えますけどね。実際はもっと見栄えがよくて美味しかったです。本当はもうひとつお盆があって、天ぷらやら小鉢やらがついていたのですが、それは撮り忘れてしまいました。まあ、あれです。代わりに店の前で撮った桜の木でもアップしておきます。ちょうど桜の見頃でしたよ。
食後は市内観光へ。
本当は市街地から少し離れた所にある黄泉平坂に行ってみたかったんですが、時間の都合上、今回は市内循環バスで回れる範囲に留めることにしました。

バスに乗っていると、途中の停留所で観光客のおじいさんが乗り込んできました。彼は運転手に一日フリーパスのことを質問し始めたのですが、じーさんは話の飲み込みが悪く、バスをダイヤ通りに運行したい運転手も話を端折ろうとするものだからますますじーさんの疑問は増し、そのためバスがしばらく動かぬ仕儀となりました。
ようやくじーさんのフリーパスに対する疑問が解決し、ついにバスが動き始めたと思ったら、今度は「運転手さん! バスを止めてくれ! ばーさんがいない!」と突然騒ぎだすじーさん。「ばーさん、ばーさーーんっ!」と、車内の中心で婆を叫ぶじーさん。しかし、衆人環視のバス車中で一人の老婆が煙のようにかき消えるなどといったことが、果たしてありうるのだろうか!? 犯人は一体どんな密室トリックを用いたというのだろうか!? 此方は小泉八雲の膝下、あるいは人外なる妖魅のしわざなのか。しかし平成の御世も終わろうというこの科学万能大時代、果たしてそのようなことが起こりうるものなのか……僕を含めた乗客一同は固唾を呑んでことの成り行きを見守っていたのですが……実はばーさん、最初からバスに乗ってはおらず、この時点でまだテクテク外を歩いていたのでした。そして錯乱したじーさんがひとしきり騒ぎおわった後に悠然とバスに乗り込んできたのでした。配偶者とどんだけ距離取って歩いてんのこのじーさん。ばーさんもばーさんで、じーさんの姿はとっくに視界から消えていたはずなのに、なにげにホーミング能力高いな。シアーハートアタックみたいだな。
じーさんの体温を感知して自動追尾する能力(持続力A)
上の写真は、車外に見えた屋形船を撮ろうとしたところ偶然写り込んでしまったシアーハートばーさんです。 老夫妻の劇場型迷惑行為を堪能した後、バスを降りて小泉八雲記念館へ。わりと小規模な施設ですぐに見終わってしまいました。
小泉八雲はシャルル・ボネ症候群、みたいなことをたしかオーケン先生が言っていて、要するに彼は左眼を失明していたのですが、記念館に飾られている八雲の写真は例外なく右を向き顔の左側を隠すアングルで撮られていました。そうとう気にしていたんですね。怪異探求者とコンプレックスや身体欠損の関わりというのはちょっと面白いテーマだと思っています。
記念館隣の小泉八雲旧居も見学し、その後ぶらぶらと散歩がてら松江城を外から眺めたりしているうちに仕事の時間になりました。
なんでもホーランエンヤという十年に一度の神事を間近に控えているらしく、時期があえばそれもぜひ見たかったものでした。 その後、仕事を終えて今夜の宿「夕景湖畔すいてんかく」へと向かいます。ここは割と年季の入った観光温泉旅館なのですが、素泊まり5980円という良心的な価格。すばらしい。
「夕景湖畔」というロボットアニメのタイトルみたいな意味不明な接頭辞もよい。交響詩篇エウレカセブン、天元突破グレンラガン、超獣機神ダンクーガみたいな。今にもスパロボに参戦しそうでわくわくしますよね。しませんか? するでしょう? えっ、しないの。そうなの。まあ、そういう意見も否定はしませんけどね。 素泊詩篇すいてんかく状態の僕は夕食を食べるためにすぐ外に出ました。あてもないので、フロントでドリンク無料券を貰った「こ根っこや」という店に行くことに。さすが根の国島根。なんだか「根」のつく店名ばかりだなあ、と思ったら、昼を食べた店の系列店でした。
葉わさび漬け、ホタルイカ、かにみそなどを食べていたらだんだん舌が痺れてきました。元々甲殻類アレルギーなので生のエビ、カニは食べないようにしていたのですが、察するにどうやらかにみそアレルギーのパッシブスキルも新たに取得してしまったもよう。蛮勇を発揮してその後カニ釜飯も食べたのですが、客死しなくてよかった。 旅館の風呂はまあ普通に気持ちよく、泉質もまあ普通によいかんじで4回くらい入りました。ふけゆく夜はスパロボTを遊びながら過ごし、翌朝は朝一の飛行機で東京に戻りました。出雲大社とかも行きたかったけどしょうがないね。了!